最後の言葉




未だに理由が分からなかった。

黄瀬涼太は中学から同級生だった青峰大輝と付き合っていた。

もちろん、恋人同士としてだ。

高校は別々になってもそれは密かに続いていた。

黄瀬自身も青峰が好きでしょうがなく、あんなことになるとは微塵も思わなかった。

その日もいつもと同じように学校のことやバスケの話をした。

ほとんど聞き手の青峰も途中に、「あぁ」とか「そうか」など相づちを打って聞いてくれていた。

一緒にいるだけでよかった。

青峰も同じだったのだと思っていた。

『黄瀬…俺のこと好きか?』

突然の言葉。

その真意も分からないまま、素直に。

『当たり前じゃないスか…好きじゃなきゃ付き合わないっスよ』

軽く答えた。

『そうか』

その日はそのまま何もなく、別れた。


二日後。

帰り際に青峰が嬉しい言葉を言ってくれた。

『黄瀬、好きだぜ』

そういって、優しく口付ける。

少しづつ変わっていく青峰に黄瀬は一抹の不安を感じながらも

『青峰っち…俺も好きっスよ』

そう答えた。


夜になってもその不安は消えることなく、黄瀬の心に刻み付けていた。

考えれば考えるほど目が冴えていく。

時計だけが虚しく時を刻んでいった。

『青峰っち…』

耳の奥底で時計の針の音を聞きながら、愛しい名を呼ぶ。


―俺のこと好きか?―


その言葉だけが頭の中を回っていた。

『好きに…決まってるじゃないスか…』

黄瀬は何もない天井を見つめていた。



それから三日後。

黄瀬と青峰はいつも通り学校帰りに会う。

軽めにバーガーショップで腹を満たし、何気ない話をした。

いつもと同じ、変わらない風景がそこにあった。

ただ、黄瀬の不安だけが一日を追うごとに大きくなっていた。

その帰り際、青峰は意を決したように口を開く。

『黄瀬』

どこかで予感はしていたのだろうか。

名前を呼ばれた瞬間に黄瀬は耳をふさぎたくなった。


―聞きたくない―


そう思った。聞いてはいけないと。

心臓の音がドキドキを通り越してバクバクと鳴っている。

このまま刻が止まってくれたらと思う。

青峰の顔をまともに見られなかった。

そんな黄瀬に青峰は強引に黄瀬の顔を引き寄せた。

『黄瀬…好きだ』

そして、青峰はそっと口付け、離れると同時に耳元で静かにつぶやく。

『お別れだ…』

黄瀬の両目が開かれる前に青峰はそのまま無言で歩いていった。

『え、青峰っち?』

黄瀬は状況が飲み込めないまま、青峰の背中を追った。

『青峰っちっ!!』

黄瀬の呼び声に青峰の足は歩みを止めたが、振り向こうとはしなかった。

『どうして、そんなことをいうスか?』

好きだって…言ったじゃないスか。

俺だって…。

『俺だって…青峰っちのこと…』

一瞬の沈黙が流れ、青峰が静かに言葉を吐く。

『…黄瀬…俺のこと好きか?』

その一言だけいって、青峰は再び歩き始めた。

その引き止められない背中を黄瀬はただ、見えなくなるまで見つめていた。


―俺のこと好きか?―


『何…言ってるスか…好きに…決まっ…』

黄瀬の頬から静かに涙が流れた。





失恋なのか、そんな痛みを引きずりながらも黄瀬は部活に勤しむ。

バスケをやっていると何も考えなくて済む。

一人でいるよりはいくらかマシだった。

そのせいなのか、その日は朝練から飛ばしすぎたようで、午後の練習にぶっ倒れた。

チームメイトには張り切りすぎと思われていたのだが、

介抱してくれた笠松センパイはどうやら感づいていたようだった。

「黄瀬、何かあったのか?いつもと調子が違うぞ」

さすが笠松センパイっスよ。と感心しつつ、口を濁した。

「とにかく、これ飲んで少し休め」

笠松は黄瀬に飲み物を渡すとコートに戻っていった。

黄瀬は笠松の何気ない気遣いが嬉しかった。

結局、その日は散々で、いつも以上に疲れただけだった。


帰り支度も整い、帰ろうとしたとき、笠松が黄瀬にスポーツドリンクを渡した。

「お疲れ、黄瀬」

「ありがとうっス、笠松センパイ」

黄瀬は椅子に座り、スポーツドリンクを飲み、喉を潤した。

笠松も隣に座り、スポーツドリンクを飲む。

「青峰と何かあったのか?」

笠松の言葉に黄瀬の手が止まる。

青峰の顔とあの日のことが一瞬にして脳裏に浮かぶ。

「付き合ってたんだろ、青峰と…」

無言のままでいる黄瀬に笠松は言葉を続けた。

「前にな…お前と青峰がキスしているのを目撃したんだ…」

「そうなんスか…」

確かに以前、桐皇学園との練習試合の時にキスされたが、

見られていたかと思うと少し恥ずかしかった。

しかし、それも過去の話で今はもう恋人でも何でもない。

「…俺、振られたんスよ」

誰かに言いたかったのかも知れない。

恋人への未練と納得のいかない別れ方への不満がゴチャゴチャとしていた。

「…まだ…こんなに好きなんスよ…」

もう泣くまいと決めたのに、涙が溢れてくる。

振られて泣くなんてみっともない。

でも止められなかった。

「黄瀬…」

笠松は黄瀬の肩にそっと手を添えると、自分の胸に引き寄せた。

黄瀬は笠松の胸を借りて、泣き続けた。

笠松の胸の中は優しく、温かかった。



しばらくして、落ち着きを取り戻した黄瀬は逆に気恥ずかしくなり、

まともに笠松の顔を見れずにいた。

笠松のほうは気にしてはいないようだった。

「落ち着いたか、黄瀬?」

「…センパイすみません、迷惑かけて…」

笠松は立ち上がり、黄瀬の頭をクシャっとなでると、「帰るぞ」といった。

黄瀬は笑みを浮かべて、笠松の後を付いていった。

笠松の後を歩きながら、黄瀬は頼りになるセンパイがいることに幸せを感じていた。



一人になると、どうしても青峰のことを思い出す。

どうして、急にあんなことを言ったのか、未だに分からないし、答えも出ていない。

青峰は何も答えてくれない。

『俺のこと好きか?』

その言葉の意味がどうしても理解できずにいた。


―青峰っち…会いたいっスよ…―


布団の中で黄瀬は再び枕をぬらした。








桐皇学園、屋上に練習をサボっている青峰が昼寝していた。

横になって空を見上げては、元恋人の黄瀬のことを思い出す。

あの日、別れを告げてから、一日たりとも忘れたことはない。

むしろ、愛おしさを増していた。

「黄瀬…」

青峰も未だに彼のことを好きでいた。

好きでいたからこそ、別れることを決めた青峰だった。

出来るならこの手で再び抱きしめたい。

その温もりを感じたかった。

「…黄瀬…お前は…俺のことを…」


俺のこと好きか?


問いかけるように言い続けた言葉が、青峰の心にズシリと重く圧し掛かる。

もう、この腕の中には奴を抱くことは出来ないと、気づいてしまった。

「黄瀬…」

青峰は再び、愛しい名をつぶやいた。


日が暮れて、そろそろ帰ろうと、校門を出たとき、目の前に見知った顔があった。

会いたくて、その腕に抱きしめたくて想いつづけた黄瀬の姿だった。

思わず、抱きしめたい衝動に駆られる。

青峰はそれをこぶしを握り締めて制した。

「何のようだ、黄瀬?」

「話があるっスよ」

真剣な覚悟を決めた表情で青峰を見据える黄瀬はそういった。

「俺にはねぇ」

それを跳ね返すように青峰は言った。

黄瀬は青峰に詰め寄り、制服を掴んで逃がさないようにした。

「青峰っちになくても、俺にはあるっスよ」

その顔だ。

黄瀬の青峰すら射抜く、その視線に青峰の心は震えた。

その顔と視線が青峰は好きだった。

「わかった」

青峰は口の端を緩ませると、そうつぶやいた。



日が暮れた公園のベンチで黄瀬と青峰はいた。

こうして2人でいるのはどのくらい振りなのか。

もう長いこと会ってない気がすると青峰はそう感じた。

「で、話って何だ?」

「どうして何も言ってくれないんスか?
突然の別れなんて、俺どうしたらいいかわかんないっスよ。
せめて、ちゃんと理由が欲しいっス」

黄瀬は聞きたいことを一気に一方的に言った。

そんな黄瀬に青峰は正直イライラとした。

「ふざけたこといってんじゃねぇ。理由なんて自分で考えろっ」

「わかんないから、聞いてるんじゃないスかっ!!」

青峰は突然、黄瀬の肩を掴むとその唇を強引に奪った。

「ん…いやっ…」

黄瀬は無意識に青峰の体を引き離した。

自分のしたことが信じられずに黄瀬は放心し、青峰は口をぬぐうと、

「これが答えだ…」

ガックリとその場から崩れ落ちる黄瀬に青峰はさらに追い討ちをかける。

「黄瀬…俺のこと好きか?」

以前ならすぐにでも答えられた答えがこの時は帰ってこなかった。

青峰は何も言わずにそのまま、その場を去っていった。

「青峰っち…」

好きだと思っていた。

本当に彼を好きだったのだ。

でも、一瞬でも彼を拒んでしまった。

その事実は消えることはない。

「青峰っち…俺は…」


俺のこと好きか?


最後に脳内に響く、その言葉に黄瀬はまたもや、涙を流さずにはいられなかった。





青峰は黄瀬と別れたあと帰路についた。

黄瀬の気持ちに気づいたのはいつだったか。

黄瀬の会話に笠松という先輩の名がよく出てきたのを覚えている。

始めのころは気にしなかった青峰だったが、

黄瀬がその笠松の話をするとき、必ずいい顔をするのだ。

本人は気づかない、微かな変化に青峰は気づき始めていた。

それでも、青峰は黄瀬を好きだったし、別れるつもりはなかった。

「ただの嫉妬だな…」

青峰は苦笑した。

黄瀬のためと思いつつ、黄瀬の口から笠松の名がでるのが許せなかっただけだ。

いつか、黄瀬が自分の気持ちに気づいたとき、黄瀬はどうするのだろう。

「…俺はどうなるんだろうな…」

青峰はまだ、好きでいる黄瀬への想いに笑みをこぼした。








夜、ベッドの中で黄瀬は青峰のことを考えていた。

「ごめん、青峰っち…」

彼はどこかで気づいていたのだろう、黄瀬の心を。

そうだとしたら、青峰を傷つけてしまった。

黄瀬は青峰に対して申し訳ない気持ちと裏切ったという気持ち。

そして、自分自身への怒りでいっぱいだった。

彼を好きだった気持ちは本物だった。

それがいつしか、どこからかで偽りになった。

今なら分かる。

青峰のあの言葉の真意が。


『俺のこと…好きか?』


重く、黄瀬の体に圧し掛かる言葉だった。

最後は答えることができなかった言葉。

「青峰っち…俺は…」












『好きだったっスよ』




黄瀬はそうつぶやき、多分、これが最後であろう涙を流した。





おわり